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福井:ちょうどぼくが、あの第八章で書いているんですけど、頭を勘違いをさせるっていうのを公開していて、それを頭の中で何通りもしないといけないんですよね。もしかしたら、その瞬間に何千通りも考えているのかもしれないですけど。


秋山:絵で描いて全部形にするのがいいですね。文字もいいけど絵のほうがよりイメージ力が強い。連鎖して、つながっていくアイデアを出し続けていくんです。数珠繋ぎにつながるアイデアじゃないと、深くならないんですよ。


福井:相当な集中力が必要ですよね。


秋山:集中力がない人は何をやってもだめですね。どうやって集中力を育てるかと言うと、子供の頃の遊びなんですよ。

遊びと言うことについては、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンハ(1872 - 1945)の「ホモ・ルーデンス」(1938年刊行)の中で「人間の文化は遊びの中に発生した。」という大胆な説を打ち出され、遊びは「いかなる文化よりもさらに根源的」であると主張しました。理論的な解釈や分析では、尽くすことのできない魅力や、美的なことを含んでいるとも強調しました。

また、明治大学教授の森洋子氏は「インテンシティ(情熱的な集中力)は子供の遊びの中から生まれると言っています。子供の真剣な遊びによってインテンシティが養われるということでしょう。」「既に15世紀イタリアの人文主義者ピッコロミーニ(後のローマ教皇ピウス2世)は、児童教育論の中で次のような意味のことを述べている。『子供に決して遊びを禁止してはならない。・・・また子供に学習のみを強要してもいけないが、もしそうすれば子供は疲弊し、衰え、こうした重圧によって学習も嫌気をさすようになる。』」(1990年6月1日の読売新聞夕刊)と言っています。

つまり子供に遊びを禁止してはならないということなんです。子供の遊びの中から何かを生み出すクリエイティブな力が生まれてくるということなんです。集中力が育つから、そういう遊びをやってないとだめなんです。集中力がない人は育てないとだめですね。入学試験で集中力がないって言う人は、却下ですね。

ホモ・ルーデンス (中公文庫)ホモ・ルーデンス (中公文庫)
ホイジンガ

中央公論新社 1973-08

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福井:集中したら、頭の中のどこに行ってるんですかね。


秋山:素早く飛躍して頭の中を走りますね。ものごとって、伝播していくんだけど、優秀な人は飛び越えていく。ぼくは数珠繋ぎにつながっていくんだけど、優秀な人はそこを飛躍して飛ばすことができる。野球選手も、投げられた球の前後を読み取ってバットを振るからあたるわけです。ピッチャーの指がどうなっているかで、ボールがどこにいくかを判断する。それをどうごまかすかがピッチャーの仕事。詐欺師同士の戦いですよ。


福井:お互いのイメージ力がすごいですよね


秋山:読心術(非言語コミュニケーション)がないとだめですよね。営業マンなんかもそうだと思いますよ。営業マンのプレゼンテーションでは、相手の心を読んで「これ」というキーワードを見つけて説得する。選ぶ人たちに「これは」と思わせるキーワードを選ぶことが重要。だから相手の会社は何をしているのか、この人はどういう信条でやっているのかというのを調べて攻める。


福井:先生は読心術を鍛えようと何かされているんですか?


秋山:いや、ただ見てるだけです。年取ってくると目が弱くなってくるからだめですよ。学校の先生なんかそうですよね。


福井:頭に入ってるかどうかもみえてくるんですか?


秋山:いや、それは分からない。むしろ知りたいです。ただ手のしぐさって重要だと思います。顔よりも多くを語りますから。バレリーナとか、手話とかってそうですよね。手を触るときとか。その欲求がエネルギーなんです。


福井:人それぞれどこに欲求があるかいろいろですよね。

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