秋山:人間、死を迎えるとき、あきらめるんらしいんですよ。ぼくの父親は自分の妻、息子や娘が亡くなったとき、「俺やめた」って言ったんです。それで終わり。それはそれでいいと思うんです。それでも終わらないっていうタフな人もいるかもしれないけど、そうなりたいのか、なりたくないのかを考えないといけないなって思う。それってどういうときにやって来るのかなって思うんですよ。まだまだそういう気持ちにはならないですけどね。あとアイデアって、もうひとつは生命力ですよね。生命力がないとアイデアはでてこない。
福井:人にですよね。でも、アイデアにも生命力というか力を持っていると信じているんですけど、たとえば、もし今後、みんなでそれを考えますとか、作り出すっていうことができたら、それは相当すごいんじゃないかって。
秋山:それは発明学会とかそういうところですよね。
福井:ああ、まあそうですね。学校つくらんとだめですね
秋山:そうですよ。アイデア学会ですね。研究していくと。それに対する理論が構成されて、深いものになっていく。
福井:深いものにしたいですね
秋山:ええ。アイデアというものは無限大だという証明をしないといけないですね。いろんなアプローチの仕方がたくさんあるから、その中におけるアイデアの出し方とかが出てきますよね。今のこれは、アイデアそのものではなく、アイデアの出し方の学会になるんです。そうはいうものの、思想がなければアイデアは成立しないから、その人が元々持っているアイデアの思想とは何かというところまでいかないと、アイデアの出てくる道筋にはなっていかないんですよ。じゃあそれは本人が確立してわかっているかというと、わかっていないんです。
福井:「考える」っていう部分に着目するのって、他人に対しては危険だなって思うんですけど、そこで聴いている二人にも「考える」ってどういうことかをレクチャーしたんですけど、そういうことすら考えたことすらないってことが驚きでもありました。ですが、そういうものなんやろうなって。ああ、このスケッチが庭に近い絵なんですよね。庭にアイデアの種をうめていって、咲いていって。
秋山:そういう絵を一杯描いたらいいんじゃないですか。アイデアって、言葉だけじゃ伝わらないんですよ。言葉で伝わるなら、誰も絵を使わずにみんな言葉を使いますからね。
福井:絵も習得したいんですけどね。
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