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其の十五:ひらめきとはひらめきじゃない?

秋山:僕は若い時からアイデアやひらめきについての研究が大事だ、と言っても誰も相手にしてくれなかった。何十年経ってもずっと相手にされなかったけど、今日のようなことがあったら一杯喋る理由があると思うんです。そこでは決して感情だけで喋っているわけじゃなくて、あぁ感情でも喋ってるか・・・(笑)感情でも喋っているんだけど、それだけじゃなくて、脳に閃いたアイデアが飛躍していくということは、「ヒラメクがどこから生まれるんだ」じゃなくて、科学的に根拠が出てくるんじゃなくて。或いは文学的であったり、或いはロマンティックであったり、或いは人生論であったり、或いは関心だったり、そういう大きな海のように広いところからピューっと立ち上がってくるものかもしれない。

福井:それは、分からない。

秋山:源泉は分からないですよ。アイデアの源泉は。

福井:恐らく・・・これは僕の仮説なんですけど、「ひらめいた」という瞬間っていうのは実はひらめいたんじゃないと確信しているんです。

秋山:面白い。それはどういうことですか?

福井:脳は恐らくそのことについては、とうの昔に閃いていることしか閃かない。ただ単にアイデアに気が付いた瞬間に「閃いた」となるだけじゃないかと。

秋山:いいこと言いますね!

福井:先生のイラストもおそらく、探し考える作業をしていて、もう実は頭の中にはある程度完成したものがある。それに近い像が出てきたときに、こうこう、こうなってといふうに気付くという作業じゃないかなと。

秋山:うん、赤い糸がさシュッと繋ぐんだよね。そうです、全く。

福井:その瞬間に、もう描けてるじゃないですか。或る程度。ということは、何にもないところからその瞬間閃いたと考えるよりは、既に頭の中に或る程度あった・・・

秋山:AとさBが繋ぐことと、AとBとCが繋がること、AとBとCとDが一つの束になって或る時出て来たり、そういうようなことが大きいと僕は思う。それから脳の中の記憶というのは、生まれてから死ぬまでの記憶を全部するわけですから、その記憶したものが何処から出てくるのか、記憶の辿り着き方が上手い人と下手な人がいると思うんです。だから閃く人たちはそういう辿り着き方が上手いのかもしれないし、或いは速いのかもしれない。的確なのかもしれないです。


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