福井:ところで先生は浮世絵からも影響をうけているってききましたが。
秋山:受けてますね。浮世絵はすごいよね。でも、浮世絵を見るとかなわないですね。もう既に完成されているから。例えば、フィレンツェに行って、絵を見るとするでしょう。そうすると、本当に一部始終かなわない。絵の隅々までかなわないんです。
福井:あれだけ大きな絵なのに?
秋山:大きいけれど、それぞれの表現が見事ですから。コンセプトを絵に表す力、それを描ききる技術、使っている素材の無駄のなさ。全部が完璧なんです。よく、オリンピックの体操競技の金メダルリストの演技見ると「これは完璧だなぁ」って感じるじゃないですか。ピカソの絵もゴッホの絵にもああいうものを感じるんです。完璧すぎてかなわないなぁって。
福井:素材って言うのはいろんなものがありますけど、たとえば絵の中の花であったりとか、家具であったりとか。一つ一つが完璧なんですか?
秋山:完璧ですね。ゴッホの選んだ、彼独自の表現描法ってありますよね。その描法を使って表現をしているわけです。その描法の絵の具を置く、このタッチ一つから全部が見事に完璧。さらにデフォルメしている形までが良いんで、ほんとにすごいと思います。
ゴッホの家のベッドの置いてある位置、椅子の位置、窓の形、全部が完璧。ぼくも同じ部屋が欲しいくらい。そこにある勢いとか早さとか、惚れ惚れとします。なんて頭のいい人だろうって思いますね。
福井:頭もいいって思うんですね。
秋山:うん。頭脳明晰。そういうところから盗み出したいんです。でも、盗み出したいとは思うけど、自分のものにできないんです。
そこでぼくは考え、そして表現の実践をし、また考え実践をする繰り返しをした結果、今の表現に辿り着いたのです。だからぼくが描いた線はみんなが描く線と違うんです。
なぜ違うかというと、線の研究をしているから。線の成り立ちを考えて、科学的にインクのしみつくもの、その速さ、インクの硬さ、混ぜてある素材。それらを見て、どれぐらいの速さで、それを引いているか、どれぐらいの筋力で、どの道具で、といったところまで研究すると、その人が持っている哲学とかが見えてくるんです。分かってくる。
それがただの落書きではなくて、昇華していくと、その人のものになってくる。だから、ぼくは筆で描くことは絶対しないんです。なぜなら、筆で描いている天才たちがたくさんいるから。もちろんぼくも筆で描くこともあって、出来上がったものを見て「きれいだな」と思うけど、他の天才たちの作品を見てから自分のを見直すと「だめだなあ」って思ってしまうんです。だから筆では描かない。毎日敗北感を味わっていますね。
芸術家が辛いのは、高揚感がまずあって、次に自己否定が来て、これは間違いかもしれないって疑うんですよ。
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