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其の三:カニッツァの三角形、松尾芭蕉と松林図

秋山:ぴったりの事例です。ここで取り上げたい図形がありまして、ここに有名な「カニッツァの三角形」というのがあります。これを見てください。これを見ますと、そこに何が浮かんできますか?

福井:星、ですか。

秋山:そう、三角形が二つ目に浮かんでくるでしょう。これをカニッツァの三角形(1955年に発表)と呼んでいます。ガエタノ・カニッツァは心理学者で、脳がすなわち「脳の世界」がどう(情報を)捉えているのか?ということについて精神分析的に研究した人です。彼によれば、「脳は足りないところを補う」のだと。人間はこの三角形を見て、どこにもそんなものはないのに三角形が見えるように勝手に脳が補うわけです。

福井:ふむふむ。この本にも!


秋山:そうそう!まさに。次にこの円柱を見てください。この円柱の上面は誰が見ても円に見えます。しかし、実はこの上面は楕円なんです。これが脳の仕組みなんですね。そして僕たち、アーティストたちは脳が最大限に想像してくれる、或いは楽しんでくれることを目指していると。それに繋がるのは、俳句です。5・7・5「古池や 蛙 飛び込む 水の音」 (松尾芭蕉)

古池があった。そこにカエルがちょっと飛び込んだ。そうすると「ぽちゃん」と水の音がした。このたった3つの要素で人間の脳はいったい何を想像するのか?そこには或いは人間が持っている人生を考える人もいる、或いは別れた女性のことを想像する人がいるかもしれない、「彼女はぽちゃんと水に落ちて亡くなったなあ、あいつのことを思うと心の中が裂かれるように痛いんだ」と、そう思って侘しいなとか。或いは、蛙がぽちゃんと落ちる音の心地良さを感じる人もいるだろうと。つまり千差万別に想像をするんですね。これを僕たちは単語と単語の間~「行間を読む」と言うわけです。それが福井さんの言ってくれていることなんじゃないでしょうか。

だから携帯電話、そこにお財布という要素が入ってきて「おサイフケータイ」になる。まさにお財布と携帯の二つが組み合わさると、人間はこの二つの重要なキーワードを繋げることによって、行間を読んで機能を想像するのです。

それからもう一つ触れておくと、カニッツァの三角形の効果、これは主観的輪郭と呼ばれるものです。しかし僕たち美術家たちは、これは長谷川等伯の松林図(国宝)を例に挙げましょう。

松林図(右隻)(2012/09/28 14:43 JST)
Wikipediaより引用:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg/800px-Hasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg

松林図(左隻)(2012/09/28 14:43 JST)
Wikipediaより引用:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0c/Pine_Trees.jpg/799px-Pine_Trees.jpg

西洋の印象画が生まれるまでは、そこに或るものを空から何まで全てひとつひとつ描いていました。それに対して、松林図で日本人はこの絵に描かれていない部分を「霞だ」と捉えたんです。霞の後ろに木があるんだと。六曲一双にもなっている屏風の中で何も描かれていないような部分があって、これはいったいなんだろうと。僕はこれがなければ等伯の絵は存在しないと考えます。つまり画家たちはその空間を人々に余白として与えて、想像をさせて、それこそが豊かな想像力を掻き立てる絵なのだと考えて描くと。それを僕自身が考えたときに、この余白をどういうふうに獲得したらいいのかと。

例えばここにある僕の絵「Message Illustration Poster2」を見てください。西洋人は一般的にどう考えるかというと・・・これはルーブル美術館にある有名な天使です

Ange tenant un rameau d’olivier (2012/09/28 14:43 JST)
Wikipediaより引用:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Memlingangel.jpg

なぜ僕はルーブルの絵を選ばなければならないのか?西洋人は絵具を集積し描くのですが、僕はただ線でアタリを取って、輪郭線を取って、色を重ねて塗らない。この顔も重ねて塗らない。ただ線で表現する。漫画家のやなせたかしさんに縮れたラーメンみたいだと言われたんですが、線そのものがグニャグニャ笑っているようなこの線も、僕にとってはとても重要なんです。そして心臓のあたりに当てている手だけピンク、そして口に黄色のメッセージで語ると。手には実はオリーブを持っているんですよ。勝利のオリーブです。で、そのオリーブには色を入れてあるんです。そんな風に僕は、見えないところに意味を一杯持たせるように考えているんです。

福井:ああ!なるほど。

秋山:答えはものすごく簡単には描かない。つまりカニッツァのこの法則をね、僕は使っているんです。伝えたいこと(アイデア)を全部描いたら、それはなんだ?となっちゃう。アイデアというのは瞬間に出てきて、その瞬間を種明かしができないくらい何か飛躍している分野があって、僕たちはいつもその中で遊んでいたり、真剣勝負をしているわけで。西洋絵画的、リアリスム表現秩序を解体して、新しい組み合わせを施すのが重要なんです。人類が描いてきたリアルな絵を乗り越えたいと。まだ幾つかの要素はあるのですが、簡単にいうとそういうことなんですよ。

福井:ほう!

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